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執筆者の写真Yugo Morikawa

ダンサー白井 剛とシンガポールでベストアートに選出された話。

更新日:2019年4月20日

*Summery of the article in English :

I performed with the dancer, Tsuyoshi Shirai at Singapore International Festival of Arts.

I had many good experiences in Singapore.

then, Our performance selected as one of The Best Art 2015 by The Straits Times!



去年の暮れ、 つまり、ほぼ一年前のニュースで恐縮ですが

シンガポールの新聞 “Straits Times” 紙が選ぶ 「2015年のBest Arts」の1つに...

ダンサー白井剛さんと僕がデュオで出演した舞台 「Passage On Blur」が選出されていました。


正確には、 同じ会場で同時上演された、伊藤千枝さん率いる “珍しいキノコ舞踊団”の作品「Ms.Dの日常」と 白井さんの「Passage On Blur」が 二本立て(double bill)でダンス公演の ベスト3に挙げられている。


『昨年シンガポールであった全てのダンスカテゴリーの中で    ベストですからね!特にエスプラネードの劇場など世界中から  クラシックバレエ、モダンダンス、有名なダンスの公演が多々  ある中での、ベスト3に入るは本当に素晴らしい事です。』

…とは お世話になったスタッフ、Toshiさんの談。

ちなみに、このStraits Times紙は 公演直後にも素敵なレビューを書いてくれていたので 僕らの事が掲載されるのは、これが2度目なのですよ。 ふふふ。


『白井剛と森川祐護は、  日本の伝統的な繊細さの概念である"さび"を  彷彿させる、上品なミニマリズムで古い鉄道の  プラットホームを甦らせた。作品全体を通して、  そこには脆弱性と頑強さの間にある、  人を魅了する相乗効果があった。  ダンスと音楽がこのような有機的融合をすると  そこには静かな調和が生まれ、両者を変貌させる。』   (Straits Times記事より/翻訳=山さん)


そんな素晴らしいニュースを日本語のメディアに残さないのは 何だかもったいない気がしていたので、せめて出演者の僕自身が 回顧録を書くことにしました。

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舞台はシンガポールのアートフェスティバル… Singapore International Festival of Arts (以下 SIFA)。

演出家オン・ケンセンさんが総合ディレクターを務めている 2014年から始まった祭典で、様々な国、ジャンルの舞台芸術の パフォーマンスが数ヶ月にわたり開催されている。 2015年も多くの日本人ダンサー、振付家が呼ばれていて “白井 剛”もその中の1人。

その白井さんからオファーを受けて 同氏の舞台「THECO」以来になる久しぶりの共演。 しかし、多数のミュージシャンがステージを彩った 「THECO」とは違い今回は、白井さんのダンスと 僕のギター弾き語りというduo編成。

純粋に2人きりのパフォーマンスは初めてだったので

時に、白井さんもギターを弾き… 時に、僕もダンス的なステップを踏み…

一緒に柔軟体操して関節外れそうになってみたり… ギターで白井さんを突ついてみたり… 蹴飛ばしてみたりもしながら……

短編ながらも 「新作の舞台」を練り上げることとなった。


日本では、 ぼちぼち肌寒くなってきた頃合いの9月1日。

それまで

華麗にスルーしてきた数々の”夏イベント”を 取り戻すかのように、

やって来た常夏の国シンガポールは 僕(と照明担当の岡野さん)にとって

初めての国だ。






シンガポール到着。 SIFAの方々とミーティング。丁寧な アーティスト ウェルカムパックを頂く…












2015年は丁度、 シンガポールの建国50周年ということで 街のいたるところに「SG50」の文字が踊っており さらに国政選挙の時期とも重なっていて 僕だけじゃはなく、国全体が何やら 浮き足だっているようだった。

僕らがパフォーマンスした会場は Tanjong Pagar Railway Station (タンジョン・パガー駅) といって、2011年に廃線になった マレー鉄道の終着駅の跡地だ。 建物自体は建国以前から使われていた 歴史のあるものらしく、廃墟フェチの琴線にも 触れるであろう、なかなか趣のある所。


敷地のすぐ脇を 送迎タクシー同様、冷蔵庫のように キンキンに冷房を効かせているであろう 車達が高速で往来する大通りがあり

その反対側には、 日本のベットタウンを思わせるような それでいて日本のそれより、色彩豊かで 愛嬌がある公団住宅が立ち並んでいて… その各戸の窓から紅白のSG国旗が 整然と掲げられているのが印象的だった。

`11年まで現役の駅だったというこの会場は、 そんな生活圏のど真ん中にあったけれど、 普段は封鎖されていることもあり 時間が止まったような佇まいとリスが住み着く程、 生い茂る木々に守られて、生活の喧騒からは隔離され ずっと聞こえていたはずの車の往来音も いつしか脳内から消えてなくなっていた。

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SIFAのスタッフさんは、 終始アスリートファーストならぬ アーティストファーストな対応で素晴らしく、 運営からは事前に会場敷地内のどこでも 「好きな所でパフォーマンスして良い」 と言われていた…らしい。

タンジョン・パガー駅には 大きく分けて館内のホールと 館外のプラットホームがあって、場所については、 前述の伊藤千枝さんチームとの兼ね合いもあり ぎりぎりまで迷いつつ、最終的に出来上がった 白井さんのプロットはプラットフォームを舞台に 展開されていた。

それが物語を紡ぐシチュエーションの妙となり 結果、良いパフォーマンスに繫がったんだと思う。

個人的には、 ホール内での演奏にも惹かれるものがあったけど 壁の反響音が激しくて演奏するのには不向きだったのかも…

実際、 ホールでパフォーマンスすることになった 千枝さんチームにも一部歌を歌うシーンがあり、 やはり歌詞が反響音で埋もれてしまったので 急遽、観客に見せる為の歌詞カードのパネルを制作したそうだ。

そんな問題のいくつかを 照明の岡野さん曰く「日本に連れて帰りたい」ほど 優秀な現地スタッフ達とクリアーしながら、 本番までの数日間… バブル期に生えて来たような小洒落たデザインのホテルと 時代から取り残された廃駅舎とを往復して過ごした。


”open with a punk spirit !!”

とは… SIFAが掲げていたスローガンの一つだが 宿泊先のホテルは“punk spirit”など 忘れてしまいそうな程、快適。

けれども大抵の建物内は、それが “シンガポール流のおもてなし”であるかの様に 獄寒の冷房が効いていて、ホテルの部屋も どんなに温度設定を高くしたり、エアコンを 切って出かけても戻る頃には 「23℃設定」でフル稼働する冷房に迎えられて 体の芯まで冷やされる羽目になった。

「そうやって日常にメリハリを付けたいのだと思う」

と…前述のスタッフ、Toshiさんは言う。

「1年中温かく季節感がない、この国で生活していると  自分はここで、どれぐらいの年月を過ごしてきたのか  時々、解らなくなるから…」

なるほど。 そういう意味では確かに、タンジョン・パガー駅は 本番直前まで空調が無い環境だったから 充分にメリハリが効いた日々を送れたと思いますよ。

まぁ、そうでなくとも 異国の廃駅で歌い踊る刺激に満ちた舞台が 始まるのですが…。

本番当日、 会場に向かう前にみんなで集まり、 前夜行ったゲネの映像をチェック。 初めて自分たちの舞台を俯瞰で観、 今までやって来た事が確信に変わる。

特に最後、照明がプラットホームの白熱灯から がらりと青色に変わるシーンでは、駅内の木々を 寝床にしていたであろう鳥達が驚いて 飛び交う天然の演出もありつつ…

”パジャマ姿の舞踏家”と”エレキギター”で綴る 荘厳な能楽の一場面の様な舞台が出来上がっていた。

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今まで封鎖されていた会場は、一般公開になり 駐車場の鉄門も開いている。 エントランスの受付にはSIFAのパンフレットが積まれ 地元のボランティアらしき会場案内のスタッフが 列を作って業務内容の説明受けていた。

いやでも緊張が高まってくる。

こんな時、楽屋は重要な聖域ですよね。 ソファーに深々と腰かけて 黙々とギターを弾いていれば良い。

がしかし、

今回は構造上、 客入りの頃には楽屋への出入りは出来なくなっており すっかり暗転した長い長いプラットホームの上で独り 楽屋から持ってきたミネラルウォーターを チビチビやりながら悶々としていなければならなかった。

他のスタッフは、向かいのプラットホームに居て 白井剛も多分そこ、もしくはかつて線路があった その先のマレーシアに続く暗闇の中に潜んでいた。

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冒頭にも書いた通り、この夜は 二本立て(double bill)のプログラム。

お客さんは、まずホールで “珍しいキノコ舞踊団”のリーダー伊藤千枝さんと ジャパンさん(名前)のduoによる「Ms.Dの日常」を観、

そして旅路を急ぐ旅行客よろしく 白井剛「Passage On Blur」の舞台。 プラットフォームへ移動してくる。

”頭文字D”で始まるカラフルな小道具達に彩られた 「Ms.Dの日常」とは対称的に、ここプラットホームは なにもなく閑散としている。

ギターを抱えた男が独り。 ぽつねんと座っているだけである。

終電を逃した事に気付かないのか、 来ることのない電車待ちながら 時折、ギターを弾いたり”写真”を撮ったりしている。


(演出上、客入れの間も僕一人だけ、ずっとステージに居なければならず、

お陰で貴重な写真が撮れました。よく見るとポーズを取ってる人が…。)

電車は、永遠にやってこないが… 電車がやってくる筈の方角から男がやって来る。

夢の中から現れたようなパジャマ姿で 彼もまたギターケースのようなものを持っているが 足取りは怪しく揺蕩い、この世の者かすら定かではない。

ギターケースを電車に見立てて 線路の上を走らせてみたり、 幽霊のように徘徊するパジャマ男を 横目で警戒しながらも、我関せずとギターを爪弾くが じわりじわりとこちらに近づいて来て 遂には、隣に座ってしまう。

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そんな風に始まった「Passage On Blur」。 当時の記憶を掘り起こす、追体験が楽しくて つい詳細を書いてしまったけれど…再演があった時の ネタバレになってしまう事に今更ながら気付いたので 中略する事にします。

数年前から導入していたギターの”ワイヤレス システム”は まるで、この夜の為にあったみたいに舞台に貢献した。

かくして、パジャマ男の白井剛は 僕のギターを取り上げて、弾きながら マレーシアに続く暗闇の彼方に帰っていった。

そしてまた プラットホームに、ぽつねんと取り残される僕。

消えるギターの音。

暗転するプラットホーム。

少し間を置いて、湧き上がる歓声に包まれながら 戻って来た白井さんと深々とお辞儀をした。 最高に、幸せだった。

翌朝。

朝食は宿泊している”スタジオM”の二階 野外プールを眼前に望むオープンカフェで この頃には、この空間にも慣れてきて SIFAの他の出演者が多数宿泊している事も分かっていた。

昨夜、公演を見てくれていた カンボジアのダンサーさんと目が合って 軽く会釈をする。 係りのおばさんに部屋のナンバーを告げ、 空いているテーブルに案内してもらう。

大抵はメンバー皆、思い思いの時間に起きてくるので ひとり、小さな”ぼっち席”に案内されるのだが その日は、既に数名の先客がいる大きめのテーブルに案内された。

『ああ、白井さんの…!昨日拝見しましたよ。  素晴らしかったです!』と日本語で歓迎を受ける。

そこには同じく日本から他の演目の為に やってきていた、ダンサーや振付家、評論家が居て 僕らの公演も見てくれていたと言う。

終演後、日本語と英語入り混じった お褒めの言葉を頂いて、その中には ”SIFAの中で一番良かった”とさえ 言ってくれる人達もいた。

彼らが拍手してくれたので、 僕は中腰になって照れ照れとお辞儀した。 ”ぼっち飯上等”だった朝食タイムに不意に訪れた、 ほっこり嬉しい瞬間だった。

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最後の日は、出演者全員でホテルのプールで泳いだ。

白井さん、千枝さん、ジャパンさん(名前)の ダンサー勢は、舞台の他にダンサーのフォーラムなどもあって 泳ぐ余裕なんてなさそうな雰囲気だったのに、 いざ泳ごうとなったら皆、 水中メガネ持参のガチ泳ぎスタイルで、なんだか可笑しかったです。

(帰りの空港でお世話に成った SIFAのスタッフっ娘達が1人1人にメッセージ書いてくれててウルっと来た!)


心残りがあるとすれば それは、白井さんの案で当日仕込んでいた アンコール曲をやらなかった事…

本番中にあった 僕自身の演奏上のミスが脳裏を過ぎり なんとなく、無い事にしてしまったのだが、

4回転ジャンプに失敗しても尚、メダルを獲得する フィギュアスケーターだっている訳だし… あの歓声の中で、僕のギターに合わせてハイジャンプをキメる 白井さんを見れなかったのは悔やまれる。

けど、まぁ それは再演の時までとっておこうと思う。


:森川 祐護 (PolygonHead / ポリゴンヘッド)





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